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渋谷区による三ヶ所同時野宿者排除に対する人権救済申立に関しての記者会見資料

渋谷区による三ヶ所同時野宿者排除に対する人権救済申立記者会見資料

2013年3月21日(於弁護士会館)

陳述書(一部抜粋)
陳述者A
 理学療法士の助手を平成19年に解雇され、その後は各地でアルバイトや日雇いの仕事をやっていました。そのころから、たまに通勤の電車賃を節約するために野宿をしていましたが、次第に仕事が減り、家賃が払えなくなりました。平成22年ころより都内で野宿(ベンチやマクドナルドなど)していました。
 平成22年度5月くらいに宮下公園でテントを張りました。しかし、同年9月15日宮下公園が渋谷区によりフェンス閉鎖され追い出されました。3ヶ月ほど「のじれん」の事務所で寝起きさせてもらいましたが、同年12月はじめに美竹公園にテントをたてました。翌年の夏になると、風通しが悪いテントが暑くてベンチなどで寝るようになり、8月には区役所地下駐車場で毎晩眠るようになりました。荷物は美竹公園のテントに置いていました。寝場所を確保するために継続的に地下駐車場で寝ることにしたということもあります。
 平成24年6月10日の夜も地下駐車場で寝ていましたが、11日の朝4時30分ころ起床し、美竹公園に寄って道路清掃の仕事に行きました。仕事を終え午後に美竹兌園にもどってきた時に公園の封鎖を知り、その時に地下駐車場の封鎖を公園前に集まっている人から聞きました。
 地下駐車場は雨とか雪とか強風の時にも過ごせるからよかったです。美竹公園は、荷物がおけて助かりました。ただ、バスケットボールコートのすぐ脇だったため、昼10時ころから若者たちが集まり居づらかったです。「聖公会・渋谷」の炊き出しもだいたい毎週行っていました。美竹公園につくったテントは「のじれん」からもらって特に最初の冬は助かりました。
 急に封鎖されて美竹公園に入るのが困難だったため、荷物の整理も出来ず、代執行の前に大急ぎで出すことになりました。公園への出入りは警備員に阻まれ、警備員が渋谷区の職員を呼び職員が来たときしか公園に入れませんでした。また、入れた場合も職員が張り付いているためゆっくりと荷物を整理することも出来ませんでした。明治通りに仮に荷物を移した時に、大切な荷物を荒らされ困りました。公園に置いていた部品の利用を考えていた自転車も勝手に捨てられてしまいました。
 公園の荷物の半分以上は、持ち出せなかったので渋谷区に捨てられてしまいました。
 6月11日以降現在まで、眠る場所も公園のベンチで横になるかマクドナルドで座ったままの状態で睡眠をとりづらいです。また、荷物の置き場に困り毛布や寝袋も持ち歩くことになり、大変です。
 渋谷区には、私たちに対してひどいことをしているのに、表では立派なことを言っているのがおかしいと思います。調子のいいことを言って、ほかの区にホームレスを押しつけて、自分の区さえ良ければいいのか、と思います。

陳述書
陳述者 B
 私は今、70歳です。いろいろとあり野宿になったのは、数年前。
 雨にうたれない、寒さもしのげる、ということで、地下駐で寝るようになったのは、1昨年9月からです。毎日寝ていました。近くにトイレがあり、便利でした。私のほかにも野宿している人がいて、安心できました。いやされる雰囲気もありました。地下駐では、聖公会・渋谷の方々が炊き出しをしておられ、おにぎりをもってきてくれるグループもあって、助かりました。
 その後、地下駐から離れた時期もありましたが、冬になり、まだ野宿しているようだったら、また地下駐で寝よう、と決めていました。
 地下駐で寝られなくなった、と聞いたのは、昨年6月11日、封鎖されたその日でした。友だちから聞きました。
 地下駐がダメになり、寝場所に困っています。今年の冬は、とくに寒いので。
 東京都は雨の日、都庁第2庁舎で寝かせてくれます。なのに、渋谷区はどうして地下駐を開けないのでしょうか。強い者に弱く、弱い者に強く出るのはおかしい、と渋谷区にいいたいです。

陳述書
陳述者C
 私は今、67歳です。野宿になったのは、3年前でした。それまで都内の建設会社で働いていたのですが、高齢のため仕事につけなくなり、野宿に至りました。
 最初、私は新宿駅西口地下で野宿していました。が、西口地下は横になれる時間が遅く、朝も早く起きてダンボールをかたづけなくてはならない。もっとゆっくり休めるところはないか、と考えていたところ、友だちに「地下駐をのぞいてみよう」と誘われ、いっしょにいってみました。地下駐は、西口地下よりも横になれる時間が早く、朝も早起きする必要がなくて助かりました。地下駐にとめられている車が風をさえぎってくれて、それほど寒くなかった。もちろん、雨に打たれることもなかった。野宿している人もよい人が多く、友だちもできました。
 何よりも聖公会・渋谷の方々にお会いでき、生活保護申請の応援をしていただきました。1年前、私はアパートか移ることができました。聖公会・渋谷の方々には、本当に感謝しています。
 地下駐が封鎖されたのを知ったのは、封鎖から4日後、聖公会・渋谷の方々による地下駐炊き出しのときでした(私は3年前からずっと地下駐炊き出しを手伝っています)。風雨の心配をせずに寝られる場所は、なかなかありません。渋谷区には、地下駐を元の状態に戻してほしい、といいたいです。

陳述書
陳述者D
 私が野宿になったのは、3年前の10月だったと思います。最初は、代々木公園のベンチなどを点々としました。毎週土曜日、東京都・児童会館の玄関口で行なわれていたのじれんの炊き出しに顔を出すようになったのも、このころでした。
 のじれんの炊き出しを通じ、2年前の3月から、児童会館の玄関口での「集団野宿」に加わりました。雨風がしのげるので、毎日ここで寝ていました。寝場所が安定しホッとしたのを覚えています。
 2年前の4月、児童会館の玄関口にロープが張られ、追い出されそうになりましたが、のじれんに応援してもらって児童会館の責任者と交渉し、追い出しを食い止めることができました。が、その5カ月後の9月、児童会館の責任者から「震災を受け補強工事を行なう」「ついては児童会館を全面閉鎖する」と通告され、1カ月ほどみんなで粘りましたが、結局11月1日、児童会館は閉鎖されてしまいました。仕方なくその日から、美竹公園のバスケットコートの横に、夜の間だけテントを張って、児童会館を追い出された仲間と寝ることにしました。それからしばらくして、美竹公園に私専用のテントを作りました。
荷物をテントに置いておけるので、仕事にもいける。久し振りに、落ち着いて暮らすことができるようになりました。
 しかし去年6月11日の朝、工事の音で目が覚めると、アッという間にガードマンに囲まれてしまいました。渋谷区の職員に「ここから早く出ていって」といわれました。ふと見ると、美竹公園はフェンスで封鎖されていました。7月30日には行政代執行が強行されました。この前後で、自分はこの先どうなってしまうのか、不安で一杯でした。体調を崩したこともありました。
 今、私は別の場所で野宿しています。渋谷区には、もう追い出しをしないで、といいたいです。


渋谷区立美竹公園の閉鎖、公園内での行政代執行及び現在の夜間閉鎖の人権侵害に関する調査及び渋谷区への警告を求める陳述書

渋谷・野宿者の生活と生存をかちとる自由連合(のじれん)

申し立ての理由
 渋谷・野宿者の生活と生存をかちとる自由連合(略称:のじれん)は、1998年4月に結成された野宿者支援団体であり、渋谷を中心に毎週土曜日の共同炊事(炊き出し)やパトロール(夜間巡回)、医療相談などの日常活動や夏まつり、越年闘争(年末年始の炊き出し等特別支援活動)などを現在に到るまで取り組んできた。結成直前の1997年11月より美竹公園に隣接する東京都児童会館
玄関前敷地を活動の主な拠点としてきた。活動当初より渋谷区公園課は(以下、公園課という)近隣住民の苦情を理由に当該活動に対してクレームをつけてきたが、しばらく後にはそれもなくなり、2012年6月11日の突然の閉鎖工事に到るまでのじれん所有の共同炊事(炊き出し)の物資などを保管していた倉庫に対して何ら撤去の警告行為はなく、黙認状態であった。
 昨年6月11日、渋谷区は、渋谷区立美竹公園、渋谷区役所人工地盤下駐車場、渋谷区役所前公衆便所の3か所を工事名目で一斉に閉鎖し、そこで寝ていた野宿者を排除した。その際に、公園課から15年以上美竹公園で共同炊事を続けてきたのじれんに対して、また美竹公園に寝泊まりしていた野宿者に対して、何ら事前の相談・連絡は行われなかった。なお、毎週土曜日に欠かさず行われていたこの美竹公園での共同炊事には、最大で約300名の野宿者、6月11日の突然の閉鎖直前では150名程度の野宿者が集まっていた。
 さらに美竹公園においては、昨年7月30日、私たちの共同炊事(炊き出し)の物資などを保管していた倉庫や、9名の野宿者のテント、荷物などが、渋谷区による行政代執行により強制撤去された。災害時一時集合場所整備工事をその理由としているが、昨年9月28日の工事終了後も午後10時半から午前8時半まで夜間閉鎖され、野宿できない状態になっている。そもそも災害時の一時集合場所を夜間閉鎖すること自体、矛盾に満ちている。渋谷区による一連の暴挙は、渋谷区からの野宿者排除と支援団体潰しを目的としたものであることは明らかである。
 昨年6月11日以降、渋谷区による強制排除・撤去によって、野宿者は寝場所を奪われ、食の場を奪われ、生命を脅かされてきた。政府や自治体の生活保護や自立支援といった対策が野宿者をはじめとする貧困者の現状とその問題解決にまったく追いついていない現在、そして未だに野宿者を次々と生み出していく社会経済構造が変化する兆しさえ見えない現在、次々と生み出される野宿を余儀なくされた人々は、まず生きるために寝場所を確保し、炊き出しに頼らざるを得ない。2012年12月以降、美竹公園での共同炊事を再開することはできたが、共同炊事の物資等をを美竹公園に保管することはできず、野宿者支援において支援の負担が非常に大きくなっていて活動に対する支障は大きい。実際、昨年末12月29日から今年1月3日までの越年闘争においては、毎日すべての物資を運び込んでの設営と撤収を繰り返すこととなり、非常に負担が大きいものであったし、夜間閉鎖のため例年の越年闘争とは異なり、寝場所のない野宿者たちの集団野営の場をつくることさえできなかった。これ以上の美竹公園の夜間閉鎖はまさに行政による殺人行為に他ならず、早急に解除されなければならない。
 美竹公園だけではない。前述の区役所地下駐車場、神宮通り公園(北側)も、宮下公園も夜間閉鎖が続いている。渋谷区は、都市再開発をテコとした野宿者排除、敵視政策をあらためるべきである。今回の一連の渋谷区の人権侵害について調査をし、渋谷区に対して、美竹公園等の夜間施錠を解除するよう、また今後、渋谷区内においてこのような野宿者の排除を行わないよう警告していただくことをお願いしたい。

陳述者
渋谷・野宿者の生活と生存をかちとる自由連合(のじれん)
代表  黒岩大助

陳述書

聖公会野宿者支援活動・渋谷
 私が教会の仲間とともに渋谷区役所人工地盤下駐車場(以下、「区役所駐車場」)を初めて訪れたのは2004年12月26日の夜でした。その一か月ほど前の夜9時ごろ、当時所属していた教会(日本聖公会●●教会、●●●●)に、一人の青年が食事と寝る場所を求めうてやってきました。
「自分がいるところはとても寒くて眠れない、何日もごはんを食べていない、助けてほしい」と言うその青年の寝場所が区役所駐車場であり、そこに約40人の方々が寝泊まりしていることを知りました。その後、その青年の痩せこけ疲れ切った姿が頭から離れず、クリスマスに食事を届けに行くことにしたのです。
 初めて訪問したその夜、区役所駐車場には約30人の方がダンボールで寝場所を作って寝ていました。その方々に声をかけて、豚汁、おにぎり、ゆで卵、みかんをお渡ししました。道路から駐車場に流れ込んでくる風はとても冷たく、温めてきた豚汁はあっという間に冷めてしまいました。世間で「ホームレス」と、ともすれば差別的な意味合いを込めて冷ややかに呼ばれている野宿生活者のみなさんは、どなたも温かかったです。しかしそぎ温かさとは裏腹の、野宿生活する方々の現状の厳しさを目の当たりにし、「これがわたしたちの住む同じ場所で起きていることなのか」と衝撃を受けました。そして毎月1回定期的に給食を行うことを決めました。
 最初の2度は夜行きましたが、3回目からは最も寒い時間でもあり、みなさんが起き始める時間でもある朝4時にカレーライスを持って行くようになりました。
 数ヶ月も経たないうちに渋谷区役所経理課管財係の●●さんから、教会に電話をいただきました。
 さっそく教会の司祭とともに●●さんのもとに伺うと、「駐車場で食事を配られては困る」とのことでした。しかし私たちは、尊いいのちを守るための行動であることを説明し、●●さんから「これ以上は私も何とも言えません。とにかく区としては困る、ということだけを伝えます。」「火だけは絶対に使わないでください。」というお言葉をいただいて話を終えました。
 たとえ目的外使用だとしても、住まいもなく食事に事欠く状態の方々がそこに寝泊まりしていることを知った以上、見過ごすことはできませんでした。
 その後私たちの活動は月に2回になり、さらには毎週1回になっていきました。同じ教派の浅草聖ヨハネ教会日曜給食活動で配るお弁当が余ると、それをもらって臨時に配ることも度々ありました。週にたった一度か二度のわずかな食事にもかかわらず、野宿生活する方々は、「ありがとう」「ありがとう」、時には深々と頭を下げて「ありがとうございます」とおっしゃってくださいました。そのたびに、自分たちの活動の足りなさに心を痛めてきました。
 区役所駐車場に寝泊まりする方々や給食を求めて集まる方々との交わりが深まるにつれ、野宿生活者の置かれた様々な厳しい状況に触れることが多くなり、自ずと私たちの活動も拡がっていきました。厳冬期には使い捨てカイロやマスク、軍手、防寒服などを、夏にはタオルや石けん、またひげそりや歯ブラシなどに日常生活に必要なものを配り始めました。また、体調を崩している方も多く、市販の風邪薬や胃腸薬、シップなども配り始めました。

 2008年11月、よく存じ上げている野宿生活者の方が3人の警察官に取り囲まれている場面に遭遇しました。そして渋谷警察署が管轄内の野宿生活者だけを狙って、指紋と顔写真の採取をしていることを知りました。すぐに給食に集まる方々にアンケート調査を行ったところ、多くの方が被害にあっており、区役所駐車場にも警察官が来たことを知りました。すぐに抗議文を作成し、渋谷警察署への抗議を行うと共に、野宿当事者の方々に、渋谷警察署の行為が著しく人権を侵害する行為であることを説明しました。そして他の野宿者支援団体と共にこの事件に対しての取り組みを行いました。
 この事件により、野宿生活者への差別や排除、嫌がらせが、行政によっても行われていることに非常に驚くと共に深い憤りを覚え、以降、野宿生活する方々への物質的(食事や衣類、薬など)な援助だけではなく、野宿生活者の尊厳を蔑ろにする様々な出来事に対する取り組みへと押し出されていきました。

 2008年12月、大量の派遣切り・雇い止めが起き、多くの人が路上に放り出され、私たちの給食に集まる人も、80~90人に増えました。そしてそこで、多くの人が行政に助けを求めたにもかかわらず適切なサービスを受けられず、絶望と嘆きの中にあることを知りました。渋谷警察署による指紋・顔写真採取に続き、本来であれば最後の頼みの綱であるはずの福祉行政がまったく機能しないどころか、逼迫した状態にある野宿生活者に対して不適切な対応がなされていることを知り、生活保護申請同行等の支援も行うようになりました。
 実際に支援を始めてみると、福祉事務所の対応は想像以上にひどいものでした。特に渋谷区福祉事務所の対応は「水際作戦」そのもので、相談に行っても「初めての人はだめ」「よそに行け」「あなたは派遣切りじゃなくてホームレス、残念でした」などど、ほとんど受け付けない状態でした。
また、私たち支援者に対しても「何しに来たのか?」「関係ない人は来るな」などと言ったり、相談者に「支援者を連れてきたらうまくいかない」などと吹聴したりしていました。
 なんとか生活保護申請書をもらって申請することができても(当時は求めても、申請書すらもらえなかった)、劣悪な環境の宿泊施設への入所を強要し、それを拒否するとそれ以降の対応をしてもらえなくなったり、やむなく我慢して入った施設に数ヶ月どころか1年以上も放置されたりしました。アパート転宅についての案内もなく、一時金申請書を提出しても認めてもらえず、一度でも施設を出たりすると「二度と来るな」と言われるなど、とても福祉事務所とは思えない対応や暴言が当たり前のように繰り返されていました。
 区役所駐車場には、そうやって行政に助けを求めたかもかかわらず、むげなく断られ住居に住むことをあきらめざるを得なくなった方々も多くいました。

 2009年3月、渋谷区議会で区役所駐車場にフェンスやシャッターを設置することが決まったことを知りました。シャッターが設置されると、夜間・休日に立ち入ることができなくなる、つまり、寝泊まりしている人たちが寝場所を失うことになります。渋谷区が、区役所庁舎内で野宿せざるを得ない人々を助けないどころか、さらに寝場所や食事を得る場所までも奪うなど、ありえない、あってはならない、その一心で、駐車場に寝泊まりしている野宿当事者の方々や他の野宿者支援団体と共に閉鎖反対・阻止の運動を展開し、話し合いによる解決を求め、担当責任者である経理課長との話し合いを繰り返しました。
 2009年9月23日、「休日には工事を行わない」という約束を破り、渋谷区は突然、駐車場にフェンスとシャッターを設置しました。この時は封鎖こそされませんでしたが、寝泊まりしている人たちの不安と動揺はますます強くなりました。
 2010年2月9日、区役所駐車場内の柱かに3月1日全面封鎖の告知が貼り出されました。多くの支援者や野宿当事者の力によって、3月1日の「全面封鎖」は阻止しました。しかしその後、またしても渋谷区は、「かならず事前に告知する」という約束を破り、8ヶ所あるシャッターを無断で閉め始めたため、駐車場の業務終了時刻に野宿当事者や支援者が集まり、閉鎖しないように求める運動を3か月間(6月末日まで)にわたり毎日続けました。この行動によって、4月15日の二度目の全面封鎖の危機も、その後の危機も乗り越えました。
 この運動の間、私く再三再四にわたり、「福祉事務所はこの駐車場のワンフロア上にあるのだから、福祉事務所の職員がここに来て、きちんと説明や案内をすべき。ここに福祉事務所の職員に来てもらいたい。」とお願いし続けました。しかし、福祉事務所が直接出向いてきて対応することは一度もありませんでした。
 この時の何度かの話し合いの中で、私たちは、駐車場に寝泊まりしている方の多くが過去に水際作戦やひどい対応を経験して、「自分たちはアパートには住めない、野宿しかない」、また「生活保護を受けられたとしても劣悪な施設に入れられる」と思っていること、しかし「もし本当にアパートに住めるのなら、生活保護を受けたい」と思っていることを知りました。そこでホームレス総合相談ネットワークの法律家に来ていただき、「生活保護勉強会」、「申請準備会」などを行い、申請同行や申請後のフォロー、アパート探しの手伝いなどを行いました。閉鎖阻止運動と並行して約3か月間、ほぼ毎日渋谷区役所や駐車場に通うこととなりましたが、結果として約35人の方々が生活保護を受けられることになりました。
 しかし、寝場所を求めて区役所駐車場に来る人は途切れることなく、常に30~50人程の方々が寝泊まりしていました。

 2011年3月11日東日本大震災直後から、給食に集まる人は150人を超え多いときには200人が集まるようになりました。支援の必要性はますます高まり、私たち自身も経済的、物理的な困難を抱えながら、何とか必要に応えようと必死でした。
 そんなさなか、2011年6月から7月にかけて4週にわたり、渋谷区経理課長や総務課長、総務部職員、警備員など
5~7人が、給食活動のために荷物を駐車場に運びこもうとする私たちの前に立ちはだかり駐車場への出入りを阻止し、「区の管理する場所に勝手に入るな」「誰の許可を得て使用しているのか」「今日も勝手に使うつもりか」「何を配っているのか知らない」「ここでやるな、別の場所でやれ」「教会でやれば」「どこでできるか私たちには関係ない、自分たちで探せ」「人が増えたから迷惑かおる」と言いに来ました。「炊き出し妨害」「炊き出し追い出し」というとても行政とは思えない態度に失望すると同時に、支援者をも排除しようとする渋谷区に激しい憤りを感じました。
 抗議の末、4週にわたる渋谷区による炊き出しの妨害行為はなくなりましたが、この出来事の後、渋谷区は「節電」と称して駐車場の照明をすべて切るようになり、私たちの活動は、真っ暗闇の中、持参したランタンの明かりだけを頼りに行われるようになりました。
 ちなみにこの妨害行為の最中に、炊き出しを待っていた方が意識を失って倒れるという出来事がありましたが、経理課長・総務課長はじめ区の職員は、私たちがその方に対応している間にいなくなりました。

 2012年5月に渋谷区役所に寝泊まりする野宿生活者の生活や私たちの取り組み、都内各所で起きている行政による排除の問題などを記録したドキュメンタリー映画「渋谷ブランニューデイズ」が出来上がり、その映画を観て、私たちの活動が暗闇の中で行われているこえを知った●●さん(●●僧侶、浄土宗社会委員会「ひとさじの会」)が、発電機とライト(投光器)を寄付してくださいました。●●上人が持ってきてくださった発電機とライトを野宿の仲間たちがセッティングして、駐車場に明かりが戻った瞬間、集まっていた人たちの列から拍手がわきました。用意したパンが明かりに照らされ、以前のように好みのパンを選び、お茶を手に、お互いの顔を見ながら会話ができるようになりました。
 しかし、すぐさま警備員が発電機の使用を中止するようにと言いに来ました。理由はガソリンを使用しているから危険だとのことでした。「5リットルのガソリンが危険だというなら、何十リットルものガソリンが入った何台もの車が駐車されている場所を真っ暗にする方がよっぽど危険であるはず、駐車場の照明を灯けてほしい」とお願いしましたが、まったく聞き入れられませんでした。
 数台の自転車しか置かれていない駐輪場にはいつも明かりが灯っていました。その理由を聞くと「自転車を取りに来る人の安全のため」だと警備員は言います。ここにも、野宿生活者に対する渋谷区の差別意識がはっきり表れていました。私は「たった数人のために明かりを灯しておきおがら、ここに200人もの人が集まることを知っているのになぜ明かりを点けないのか。食事のためにここに集まらざるを得ない200人から光を奪うこと自体が人権侵害だ」と抗議しました。渋谷区は、わたしたちの給食活動をチェックし、毎週の給食に集まる人数(警備員が私か人数を聞きに来ていた)も毎晩寝泊まりしている人数も把握していました。その人たちのことを「知らない」とは絶対に言わせません。
 私たちは、そぎ次の週から、発電機を駐車場の外に置くようにし、延長コードでライトをつけるようになりました。

 2012年6月6日の夜、区役所駐車場に立ち寄った私に、「変な紙が配られた」と寝泊まりしている人が紙を見せてくれました。そこには「駐車場は寝泊まりするところではない」ということと、「自立支援システムについて」と題して、自立支援センターについての簡単な説明が書かれていました。特に閉鎖について書かれういるわけでもなく、発行人の名前もおく、何のためにそんな紙が配られたのか、まったく理解できないものでした。しかもその紙は、手渡しされたわけでも説明があったわけでもなく、6月5日の23:00頃、寝ている人たちのダンボールの寝場所の中に、警備員が投げ入れて行ったものです。しかし、一部には「工事の資材置き場になるかもしれない」と警備員から聞いていた人もおり、「追い出されるのではないか」という不安が寝泊まりする人たちの間に広がりました。しかし、支援者が確認したところ渋谷区経理課は「閉鎖はない」と答え、寝泊まりしている方が生活福祉課に聞きに行っても、「もしそのようなことがあるときには必ず事前にお知らせがあるはずだから」との返事でした。私たちはその言葉を信じ、「いくら何でもお知らせはしてくれるだろうから、万が一、お知らせが来たら、どうするかを皆で話し合おう」と寝泊まりする人たちと話をしていました。
 「万が一、追い出されそうになったらどうしたいか」という私の問いに対する駐車場に寝泊まりする方々の答えは、私にとっては意外なものでした。「区役所駐車場に寝泊まりさせてもらっていることをとてもありがたく思っているる。だから、夏の間だけのことならば、あまり騒ぎ立てたくない。冬になる前に戻れるのであれば、数か月は出て外で何とか我慢する。」・・・みな、自らを野宿生活をせざるを得ない状況に追い込んだ社会を責めるわけでも、助けるつもりもなくただ追い出そうとする渋谷区を責めるでもなく、駐車場にそっと寝泊まりさせてくれている渋谷区に感謝し、騒ぎ立てるつもりもなく、抗議するつもりもなく、ひたすら友好的な関係の持続を願っていました。
 しかしその優しい心は一瞬にして踏みにじられることとなりました。

 6月11日午前 8時30分頃、「のじれん」からの一報で、美竹公園に向かいました。その公園を囲むフェンスとフェンスにそって手をつないで立っている警備員、道には機動隊の車両とおびただしい数の私服警官、公園内でテント生活をしてる方々は軟禁状態…信じられない光景が目の前にありました。
 そこにいた福祉事務所の係長に「これは何だ?これが行政のやることか?」と詰めよりました。係長の返事は「わからない。自分が聞いたのも昨日の夜遅くだった。あわてて来たところだ。」でした。
 区役所前の公衆トイレには、6月11日から工事のために閉鎖するというお知らせが提示されていました。トイレも閉鎖されているだろうと思うと同時に、直感的に「区役所駐車場も閉められている」と思いました。案の上、区役所駐車場もすべてのシャッターが閉められ、どの入り口にも警備員が配置されていました。
 この日渋谷区は、野宿生活者が寝泊まりしている3つの場所を同時に閉鎖したのです。
 6月11日は月曜日でした。美竹公園では朝6時頃にはすでにフェンス設置の工事が始められていました。区役所駐車場にも、それまでなかった工事用のフェンスが立てられていました。どちらにも区の警備員ではない民間警備会社の警備員が配置されていました。突然の閉鎖に抗議する私たちには常に機動隊や機動隊の車両、私服警官がついてまわりました。休日をはさんだ翌朝、区役所の業務が始まる数時間も前から、工事や人の配置ができるということは、事前の準備がなされていたことを表します。
 事前にこれほどまでの準備をしておきながら、そこに寝泊まりしている人たちにも支援者にも、一言の通知もありませんでした。区役所駐車場においては、日ごろから、朝6時までに出るようにと警備員に言われていたので、6月11日も、午前5時30分ごろに最後の人が駐車場を出ています。その日寝泊まりしていた誰一人として閉鎖の話を聞いていません。
 渋谷区は、そこに寝泊まりせざる得ない人々が、寝場所がなくなると困ることを知っていながら、一言も告知することもなく着々と準備を始め、時間を守って野宿生活者が出ていったあとで、準備していた工事用フェンスを設置し、シャッターを下ろして施錠したのです。
 この日私は、美竹公園から移動した後ずっと、区役所駐車場の入口に座っていました。突然の閉鎖を知らないで多くの車(区役所を利用する一般市民)が入ってきました。渋谷区議会の議員までもが封鎖を知らずに自転車を駐車しようとやってきて警備員に止められていました。福祉事務所の係長も、区議会議員も知らないところで突然の封鎖は行われたのです。加えて、福祉事務所の職員が閉鎖を知ったのは、6月11日の午後だとのこと、つまり、渋谷区は、閉鎖によって居場所を失う野宿生活者のその後の生活について対応する気はなかったということです。
 区役所駐車場は、「人工地盤下」ですので駐車場の上に庇があり、雨露から身を守ることができます。冬は冷たい風が吹き抜けますが、それでも、庇のない露天よりは暖かいです。厳寒期でなければ、ダンボール数枚で寝場所を覆えば寝ることができたので、たくさんの荷物を持つことのできない野宿生活者にとっては貴重な場所でした。そのせいか、高齢者や病気の方など、公園などでの野宿生活が困難な方も多くいらっしゃいました。その場所を封鎖するということは、単なる寝場所がなくなるということだけではなく、雨露や風にさらされるということであり、野宿生活者にとっては生命の危機にさらされるということです。
 うわさを聞いて、見に来た野宿当事者たちは「まさか」「うそでしょ」「なんで?」「どういうこと」…命に直結する深刻な事態にみな表情は硬く、茫然としていました。
 その日、日が暮れる頃、何も知らない野宿当事者たちが区役所駐車場に戻ってき始めました。23時過ぎに最後の人が戻ってくるまで支援者が入り口に立ち、急遽調達したブルーシートや寝袋などを渡しました。

 6月12日、説明を求めて駐車場に寝泊まりしていた人たちとともに経理課を訪れました。「話し合いたいならあらかじめアポをとれ」という経理課に、「アポもなしに人の寝場所を奪っておいて何を言うか、こちらにとっては一刻の猶予もない深刻な問題だ」と抗議、何とか話し合いの場を確保したものの、目の前に座った経理課長は行政の責任ある職員とは思えない無礼な態度に終始徹していました。(音声記録をご参照ください)
 野宿当事者の方々が、命が危険にさらされる不安を一生懸命伝え、「冬が来る前にもとに戻してほしい、命取りになる」と訴えましたが、その切迫した声にも誠実さのかけらも感じられない態度で、「お約束できません。ご意見として承っておきます。」と連呼し続けました。
 最もひどいのは、「なぜ事前に一言も通知してくれなかったのか」という質問に対する答えです。経理課長は「駐車場は人が寝泊まりしてはいけないところなので、そこにいる人に通知する必要はない。」と答えました。人権侵害どころではなく人命を無視した発言であり、そこに寝泊まりしていた人々の存在をも否定するあまりにひどい発言です。
 先の見えない状態で突然路上に放り出された人たちは、その日から寝場所に困りました。梅雨の冷たい雨が降り続く中で雨をしのぐ場所を確保することは難しく、寝場所を探すためにバラバラになっていきました。
 その後渋谷区は、話し合いを求める私たちの声も一切無視し、連日提出した要望書に対する回答も一切拒否、さらに回答を求めて日参する私たちを、警察を動員(110番通報による)して排除しました。6月12日に経理課が「工事資材置き場として使用するため」と説明した閉鎖理由の工事が終了しても閉鎖は解かないどころか、駐車場には新たなフェンスやシャッターが設置されました。

 突然の排除から4日後の6月15日は毎週金曜日の「ちかちゅう(注)給食」の日でした。その日も多くの方々が食事を求めて集まっていました。しかし、区役所駐車場は閉鎖されており、大勢の警備員が区役所敷地との境界線に立って立ち入りを許可せず、やむを得ず、私たちは駐車場の前の歩道で配食を行いました。

注=「ちかちゅう」とは渋谷区役所人工地盤下駐車場のこと。2010年の排除危機の際に、区職員が「ちかちゅう」と呼んでいたことを知り、以降、私たちも「ちかちゅう」を通称として使うようになった。

 この日以来、私たちの活動も、区役所駐車場ではできなくなりました。駐車場での活動には、区切られた空間であるがゆえにできていたことがありました。配食の際には、何種類かのパンの中からご自分の好みのものを選んでもらえました。また、配食後のお茶タイムでは、各人が好みの飲み物を選び、好みに合わせて砂糖やミルクを入れ、束の間ではありますが、お茶を片手に仲間との時間を過ごすことが出来ました。また、時には古着や日用品を広げて必要なものを持って行ってもらえました。
 配食時には、看護師であるボランティアスタッフ具合の悪い方の対応をし、市販薬をお渡ししていました。また、私たちが来ることを待っていたかのように体調が急変し倒れる方もあり、救急車を呼ぶこともありました。連絡があれば夜中でも早朝でも出かけていき、救急車を呼び病院に同行しました。
 配食時にはしばしば相談を受け、福祉事務所への申請用紙を記入するなどの準備を行ったりしてきましたし、ホームレス総合相談ネットワークの法律家に来ていただいての相談会を実施したりもしていました。申請同行やアパート探しの手伝いなども常時行ってきました。配食には、「ちかちゅう」で私たちに相談し生活保護を申請した方々が、その後の報告に来たり、次の相談に来たり、給食活動を手伝いに来てくれたりもしていました。このように、相談等生活に関わる生活支援は、野宿生活時だけにとどまらず、生活保護申請後のアパート探しや、福祉事務所とのトラブルへの対処、アパート生活での孤独・孤立への対策など、多岐にわたりました。当然私たちの活動も、給食活動を行う金曜日だけにはとどまりませんでした。必要があればいつでも出向き対応してきました。

 「ちかちゅうに行けば何えとかなる」・・・困ったことがあったら区役所駐車場に行けば、野宿の仲間がいて、「せいこうかい(私たちの団体の通称)」がいて、何とかしてもらえる・・・連絡手段を持たない野宿生活者たちにとって区役所駐車場はそういう場所でした。
 何十人もの方が「ちかちゅう」に来て、そこで仲間たちの温かさに支えられて、やがて生きる気力を取り戻し、自分らしさを取り戻して、それぞれの次の人生へと移っていきました。

 これらすべてが、6月11日の排除によってできなくなってしまいました。すべてを渋谷区は奪いました。
 かろうじて歩道上での配食を続けていますが、待つ空間も雨風をしのぐ庇もなくなってしまい、ただ袋詰めした食事を配ることしかできなくなってしまい、食事を求めて集まる方々には苦痛を強いている状態です。

 「ちかちゅう」は、社会から、また行政からも見捨てられた人たちにとっての「町」でした。私たちが地域の中で生きていくのと同じように、「ちかちゅう」にはコミュニティがありました。
 「生きる」ということは、ただ単に生命を維持するために、口から物理的に栄養補給をし、どこでもいいから睡眠時間を確保できればいいということではありません。安心できる空間でゆったりと体を休めて活力を養い、「今日は何を食べようか」と考えたり、何を着ようかと迷ったりすること。人との交わりの中で情報を得、友を得て、時を共有し、思いを分かち合うこと。人には「心」があります。物理的なものだけで無機質に生きていけるものではありません。区役所駐車場はあくまでもコンクリートの駐車場であり、本来は人が寝泊まりする場所ではありませんが、そこに寝泊まりせざるを得ない方々にとっては「ちかちゅう」は野宿生活者の方々が人らしく生きられる心の通う場所でした。
 渋谷区は、庁舎内、福祉事務所の下でもある駐車場に寝泊まりしている人たちに対して、日ごろから対応することもなく、排除に際しても適切な代替措置をとることもなく、そればかりか、突然閉鎖という「だましうち」としか言えない卑劣なやり方で、野宿生活者を追い出しました。生命を脅かし、尊厳を著しく傷つけるばかりではなく、人の存在をも否定する、非人道的な態度を許すことは到底できません。

 私たちの活動は、善意ある人たちからのカンパで成り立っています。また、私がこの活動のため費やしている労力や時間、経費は、すべて自己負担で補っています。
 私が行っている活動のすべては、本来は行政が行うべきものであると思っています。行政が正しく機能していれば、私たちのような支援者は不要のはずです。それでも増え続ける生活困窮者に対応しきれずまったく機能しない渋谷区の福祉行政を少しでも補いたいと考えて活動を続けてきました。すべては人のいのちと尊厳を守るためです。
 渋谷区によって、8年間その足の下で支援活動を行ってきた私の存在も否定されてしましました。福祉事務所にも協力し、区職員にも警備員にも常に礼儀を払い、丁寧に関係を築いてきたつもりでしたが、一瞬にしてすべてが崩壊しました。また、排除された方々のいのちが脅かされ尊厳が傷つけられ、日々疲弊していく姿、悲嘆、苦しみを目の当たりにすることは大きな苦痛であり、その苦痛は今も変わることなく、むしろより大きく耐えがたいものとなっており、今回の排除によって私自身も精神的に深い傷を負いました。

 渋谷区に聞きたいです。人のいのちよりも大切なものがあるのか、と。行政としてという以前にまず人として、この行為に疑問を持たないのか、と。
 人のいのちと尊厳を脅かす行為は、人として許されるものではありません。ましてや、渋谷区という行政が、社会的に弱い立場に置かれた人々に対して、権力を悪用し、有無を言わせぬ形で人の身体と心、つまり人のいのちを踏みにじることは、暴力そのものとしか言いようがありません。渋谷区には、自らの行いを省み、その過ちを認め、行政としての在り方を改めていただきたいです。
 野宿生活をせざるを得ない方々にとって必要不可欠な生きる場所であり、緊急シェルターの機能を果たしてきた区役所駐車場を2012年6月11日の閉鎖以前の状態に戻していただきたい。その上で、誰も野宿生活をしないで済むように、適切かつ具体的な対策を立てて、実行していただきたい。同時に野宿生活者に対する差別行為・差別意識を、渋谷区長はじめ渋谷区職員から徹底的になくしていただきたい。そして二度とこのような行為を行わないと約束していただきたい。
 行政機関、公務員であればこそ、日本国憲法を遵守し、すべての人のいのちを守ることに努めていただきたい。

 なによりもまず、6月11日の複数箇所同時閉鎖によって排除された野宿当事者および支援者に対して、この排除を行った渋谷区長および関係した職員が、直接謝罪することを強く求めたいです。

+主の平和がすべての人とともにありますように

聖公会野宿者支援活動・渋谷
代表 楡原民佳

2013年3月21日渋谷駅周辺特定都市再生緊急整備地域と野宿者排除
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